
中学生の頃に住んでいた浮間(東京都北区)に行ってきました。
ブラタモリの昨年(2011年)の放送、第3シリーズ第4回「荒川/柴又をブラタモリ “都会を流れる大河の秘密!” 後編」に浮間がでており、懐かしくなって、一度行ってみよう思っていました。
下車駅はJR埼京線浮間舟渡駅。舟渡って何だろうと思っていましたが、駅が北区浮間と板橋区舟渡にまたがっているためについた駅名でした。
通った中学が駅のすぐ裏にある(というか、中学校のすぐ横に埼京線と新幹線が通ったいう方が正確)のですが、板橋区との境だったとは知りませんでした。

その昔、荒川は浮間で大きく蛇行しており、浮間は荒川の左岸にありました。
荒川に突き出た形が浮島に見えたことから起きた地名だそうです。かつては「浮間ヶ原」と呼ばれサクラソウの名所でした。

昭和の初めに、荒川が直線化された際、浮間は荒川右岸になり、川の名残として浮間ヶ池が残りました。
昭和42(1967)年には浮間ヶ池を含めた周辺が都立浮間公園とされました。
中学入学の年だ!
浮間ヶ原桜草圃場では、ちょうどさくら草祭りが行われていました。

ブラタモリでも紹介がありましたが、荒川改修前はたびたび水害に見舞われたため、石垣の上の一段高いところに家を建てたそうです。水塚と呼ばれます。
また、昔はどの家にも、洪水時の避難用の船が、軒下につるされていたそうです。

荒川土手に上がると、ヒバリが盛んに囀っていました。

荒川対岸の川口市辺りには高層ビルが林立している風景が見られます。

岩淵水門まで荒川土手を歩きました。

この写真は新荒川大橋から下流の眺めです。
左が荒川本流(荒川放水路)、右の赤いのが旧岩淵水門、青いのが新岩淵水門で、隅田川への流量を調整し、流域を洪水から守っています。
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浮間は、以前の面影を残している場所もありましたが、全く景観が変わってしまった所も多くありました。
最も変わったのは多数の高層マンションでしょうか。浮間公園の横にもこのようなタワーが建っていました。

浮間の南側には新河岸川が流れていますが、川沿いを歩いていると、対岸(板橋区側)に「小豆沢水上バスのりば」、というのを見つけました。こんなのあったかな?

後でWebで調べてみると、
水上バスで東京を巡るコースの発着場になっているんですね。
このコースなどは面白そうです。運航日は限定されているようですが、機会があれば、乗ってみるかな。
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浮間に住んでいたのは、昭和42(1967)年からの2年半、もう45年も前のこと。
父の転勤で、郷里の松永駅から準急「びんご」で大阪まで行き(山陽新幹線開通前)、東海道新幹線に初めて乗り、東京から京浜東北線に乗り換え、雨の赤羽駅に降りたことを覚えています。
posted by 日和見だより at 21:27|
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