2012年08月31日

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これ以前は過去ブログ(東京 町田編)のアーカイブです。
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霧ヶ峰

20120831_071730.jpg東京での最後の山歩きに霧ヶ峰に行ってきました。

朝6時頃、霧ヶ峰に着いたときは霧の中でしたが、晴れることを期待して、車山肩から山頂に向かいました。
山頂に着いた時もまだこんな感じでしたが、1時間ほど待っていると、



20120831_075414.jpg高原に光が射すようになりました。



20120831_090522.jpg車山湿原を通って、車山肩に戻ったときには、八島ヶ原湿原や鷲ヶ峰も見渡せるようになりました。



20120831_084429.JPGところで、鹿の食害を防ぐ電気柵があちこちに張られていました。確か2年前にはなかった思います。
ニッコウキスゲの花が咲く直前の蕾が食べられてしまうようで、2005年夏のような黄色のじゅうたんを見るのは難しくなっているのかもしれません。



20120831_102510.jpg車山から八島ヶ原湿原へはいつもは歩くのですが、今回は時間節約のため、車で移動しました。空には夏雲が湧いていました。

湿原周辺を散策したのち、



20120831_120744.jpgついでに八ヶ岳へ。
八ヶ岳高原ラインを通って、東沢大橋に着いたときには、権現岳、赤岳、横岳がまだ見えていました。

美し森に寄って、



20120831_130838.jpg最後は野辺山宇宙電波観測所を見学して帰途につきました。
posted by 日和見だより at 23:58| Comment(0) | 山歩き

2012年08月26日

桜台 - 想い出(-1)

20120826_182721.jpg息子夫婦が訪ねてきたので、桜台の前に住んでいた京王めじろ台駅近くのアパートに行ってみました。
アパートはそのまま建っていました。
息子が1歳になる前に引っ越したので、息子にはもちろん記憶はなかったようですが、夕暮れ時だったこともあり、何だかトワイライトゾーンに佇んでいるような雰囲気になりました。

さて、いよいよ引っ越しが迫ってきました。
時間は十分あったはずなのに、出来ていないことも多々あり、夏休みの宿題をやり残している気分です^^;
posted by 日和見だより at 23:59| Comment(0) | 桜台

2012年08月17日

桜台 - 想い出(7)

書類を整理していたら、ファイルの中から下のような写真が出てきました。
団地周辺の航空写真ですが、どうやって入手したものか、記憶にありません。
子供たちの学校行事の何かかとも思いましたが、校庭に人文字が見えるわけでもありません。
撮影時期は、団地北側の谷戸の区画整理着手前のようなので、1992〜93年、遅くとも94年の初め頃と思われます。

現在のGoogle Earth衛星画像と比較してみると、消えてしまった緑の島がいくつか認められます。

写真下を左右に走るのは町田街道。河川は境川で、東京都と神奈川県の都県境を流れています。
sakuradai09.jpg
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2012年08月12日

桜台 - 想い出(6)

19991207_105743_11.jpg我が家にミーがやってきたのは1999年11月のことでした。右はその頃の写真で、幼くて、いかにも子猫といった感じですね。

数年前に子供たちが巣立ってからは、夫婦とミーだけの暮らしになっています。

人見知りが強く、知らない人がくると、すぐに隠れてしまいます。
でも、自分が夜帰宅すると、足音でわかるのか、玄関で待っていてくれたりします。

家族にとっても癒しの存在として欠かせなくなっています。

最終出社日の翌日、脱力感でソファーでうたた寝していると、ミーも横に来て、寄り添ってくれました^^

自分に一番なついていると思っているのですが、案外、逆にうまくマインドコントロールされていたりするかもしれません(笑)

いまミーにとっての最大の難関は、長距離の引っ越しです。まぁ、ミーはまだ知る由もありませんが。。。
posted by 日和見だより at 21:26| Comment(0) | 桜台

2012年08月11日

桜台 - 想い出(5)

この団地が、北を多摩川水系との分水嶺、南西を境川水系との分水嶺に囲まれた、鶴見川の源流域に位置することを認識したのは、1993年にまちだ市民大学「多摩丘陵学・自然論」を受講したのがきっかけです。雑木林など身近な自然に興味を持ち始めた頃のことです。

受講後の5〜6年間、地域の市民グループに参加し、自然保全や自然観察会などの活動に参加していました。
活動範囲は源流域から、鶴見川流域、そして多摩・三浦丘陵群へと広がり、会社とはまた違ったネットワークのなかで、とても充実して楽しい時期でもありました。

20120810_081123.jpg部屋を整理していたら、当時のピンバッチが出てきました。

動物にはそれぞれ意味があって、カワセミは源流域の森の形を、バクは鶴見川流域全体を、イルカは多摩・三浦丘陵群の形を表しています。

詳しくは下記HPを参照してみてください。



sakuradai07.jpg団地近くにある小山田緑地に行ったのは、この写真がおそらく最初だと思います。日付には1990年10月とあるので、息子が小学校に入学した年です。開園は同年6月。

多摩丘陵の原風景を残した素敵な公園で、現在も整備・拡張が続いています。
また、鶴見川源流ネットワークの活動のフィールドでもあります。

[参考]
鶴見川源流ネットワーク: http://www.genryu-net.jp/
鶴見川流域ネットワーキング(TRネット): http://www.tr-net.gr.jp/
いるか丘陵(多摩・三浦丘陵群)のホームページ: http://www.iruka-land.net/
posted by 日和見だより at 00:40| Comment(0) | 桜台

2012年08月10日

桜台 - 想い出(4)

富士山が見えるかどうか、意識して記録をつけるようになったのは、1992年6月からで、以来ずっと続けています。

パソコン通信NIFTY-Serveに「山の展望と地図のフォーラム」(FYAMAP)が開設されたのは、1994年10月だったようです(*)。FYAMAPには「富士山の広場」という会議室があり、そこには自分と同じように毎日富士山を眺めて記録している人が何人もいて、月末になると、富士見日記を一斉にアップする、ということが行われていました。
NIFTY-Serveは2007年3月末でサービスが中止され、現在はfolomyの「山の展望と地図のフォーラム」に移転しています。
(*)代表の田代博さんのホームページより。

私の記録は以下にまとめてあります。
http://www11.ocn.ne.jp/~hiyorimi/fujimi.html
http://www.hiyorimijin.com/fujimi.html  (2015.8.27変更)

写真は、超個人的富士山観測所(^^) からの眺めです。丹沢稜線上に、富士山の頭だけ見えます。
右手前の雑木林の木々はいまは成長し、遠方の住宅はすっかり隠れて見えなくなってしまいました。
sakuradai05.jpg
(1994年頃撮影)

【2015.08.27追記】
現在はfolomyも終了し、「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」はhttp://fyamap.jizoh.jp/に移転しています。
田代博さんのホームページもhttp://yamao.lolipop.jp/に移転しています。

【2021.02追記】
田代博さんは2021年2月にご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
posted by 日和見だより at 04:25| Comment(0) | 桜台

2012年08月09日

桜台 - 想い出(3)

20120809_061950.jpgここは1984年から入居が始まった約1600世帯規模の団地で、町田では最後の大規模団地ということでした。

同じような世代が一斉に入居したためでしょう、近所には息子や娘たちと同年齢の子供がたくさんいて、団地内の小学校は一時期、東京一?のマンモス小学校と言われていました。

団地の経過年数と同程度に住民の平均年齢も上がっているのではないでしょうか。いまは高齢化への対応などが話題になるようになりました。
posted by 日和見だより at 06:45| Comment(0) | 桜台

2012年08月08日

桜台 - 想い出(2)

sakuradai02.jpg団地の北側には農村風景が広がっていますが、宅地化など開発も進んでいます。

いつも日の出や月の出を見に行く公園も、かつては牧草地で、下の写真のような風景が眺められました。
現在、写真の下半分の区域は住宅地に変わっています。

多摩ニュータウンやこの団地も、かつて多摩の横山と万葉集にも詠まれた、なだらかな多摩丘陵を開発してできたものです。

多摩丘陵を舞台にしたジブリの映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の公開は1994年のことでした。
sakuradai03.jpg
(1994年頃撮影)
posted by 日和見だより at 11:13| Comment(0) | 桜台

2012年08月06日

桜台 - 想い出(1)

いま住んでいる団地を見学に来たのは、28年前の残暑厳しい日でした。
当時、まだ車を所有しておらず、町田駅からは何故か行先違いのバスに乗ってしまい、着いた終点は田園風景の中でした。
小さなお店で団地への道順を教えてもらい、生後半年の息子をベビーカーに乗せて歩きました。
車道を離れ、団地へ通じるという細い道の周りは雑木林と水田で、平屋建ての家が1軒あるのみ。この先に本当に団地があるのか半信半疑で歩き、木々の向こうに建物が見え出したときは、正直、ホッとした記憶があります。

2回目に来たのは、翌年の良く晴れた冬の日。
完成間近の部屋を自由に見学でき、富士山の見える眺望も気に入って、ここに住むことに決めました。
あの日、もし富士山が見えていなかったら、果たしてどういう判断をしていたでしょうか。。。

sakuradai01.jpg引っ越してきた頃。1歳になった息子。



団地周辺を航空写真で見るとこんな感じです。
この辺りが鶴見川の源流域であることを知るのは、まだ何年か後のことです。

大きな地図で見る

posted by 日和見だより at 04:13| Comment(0) | 桜台