
シャモニから電車でツェルマットに移動し、ホテル・バーンホフ泊。
ツェルマットから登山電車でゴルナーグラードへ。マッターホルンやモンテローザなどの山々の展望を楽しむ。
ツェルマットに戻り、グリンデルワルトへ電車で移動。アイガー北壁が目の前に見えるキャンプ場泊。
登山電車でユングフラウヨッホ。ガスで視界が悪く、食堂で様子見している時に加藤保男氏(*)に会う。オーバーメンヒ・ヨッホ小屋まで同行させてもらう。同小屋泊。
(*)エベレストに3度登頂を果たした。1982年12月、厳冬期エベレスト登頂後、下山時に遭難。
オーバーメンヒ・ヨッホ小屋を出て、ユングフラウ登頂。
下山しキャンプ場に戻る。
キャンプ場から撤収し、グリンデルワルトから電車でインターラーケン・オスト、ベルンを経てジュネーブへ。ホテル・シャンテリー泊。
ジュネーブからスイス航空でフランクフルト。フランクフルトからはパンアメリカン航空002便(東回り世界一周便)で、往路同様カラチ、デリー、香港を経由して成田に帰着した。
帰りの飛行機の中のことはほとんど覚えていない。ただ、北海道が大雨で、石狩川などが氾濫しているニュースが機内のTVから流れていたことだけは、なぜか記憶に残っている。
◇
いまから振り返ると、2年目の新人がよく2週間(うち1週間は夏休みだが)も休ませてもらったなと思う。
また、事前調査・準備・記録など当時の資料を見返すと、自分は連れて行ってもらっただけだったんだな、ということが改めてわかった。山岳部の多くの仲間に支えられ経験できた遠征だったと思っています。
■行程
1981年
7月24日:成田=香港=デリー=カラチ=
7月25日:=フランクフルト=ジュネーブ=シャモニ
7月26日:キャンプ場へ移動
7月27日:エギーユ・デュ・ミディ
7月28日:グラン・モンテ
7月29日:BC〜グーテ小屋
7月30日:グーテ小屋〜モンブラン〜BC
7月31日:シャモニ=ツェルマット
8月1日:ツェルマット=ゴルナーグラード=ツェルマット=グリンデルワルト
8月2日:BC=ユングフラウ・ヨッホ〜オーバーメンヒ・ヨッホ小屋
8月3日:オーバーメンヒ・ヨッホ小屋〜ユングフラウ〜BC
8月4日:グリンデルワルト=ジュネーブ
8月5日:ジュネーブ=フランクフルト=カラチ=デリー=香港=
8月6日:=成田